性的逸脱と性暴行

 

 

私が病気になったきっかけはきっと母親なのだが、それを前提にしても私の病院が重くなったのは性的逸脱と性暴行が原因だと考えている。

 

私は田舎に住む外国人と日本人のハーフだった。国名は避けるがアジア系なので見た目にこれといった違いはない。整形をしたくらいなので当時は見るに堪えないほどの醜女だった。

 

そんな私は中学生の頃に性暴行をうけた。40代くらいの男に車に入れられレイプされたのだ。勿論初経も始まっていたから腟内から出てくる男の体液に恐怖しながら泣きながらシャワーを浴びたことを今でも覚えている。実家の風呂はとても光がさす明るいタイル張りの風呂だった。

 

母は性に過敏というか潔癖な人で私に男性の親しい友人ができることも嫌がり 幼なじみの家に行くことさえ否定してきた人だった。恋人が出来ればきれてあばれたりする為、もし自分が恋人でもない人と性行為をしてしまったことを知ればどんなことをされるか…そう考えると私は相談する人を失った。父とは仲が良かったが性的な話は一切出来ないのだ、私は。

 

それから私の性的逸脱は始まった。

世の中に援助交際があることをこの頃知った。インターネットで募り行為に及んだ。何回したのかはもう思い出せない。それは14から19までの5年間行われた。

 

性的逸脱 恋人でも無い他人に身体をゆるす自傷行為だが、私はそれを繰り返すようになって 考え方がおかしくなってしまった。私の価値は性行為の相手 女性だということだけだと、そう認識してからも性的逸脱は続き醜形恐怖症と摂食障害を併発した。

 

高校を卒業し親元を離れてからも性的逸脱は続いた。恋人への試し行為になっていた。あなたが目を離すから私はこんなことをしているのだと言っていた。こんなことをしても好きでいてくれるのかを試していた。そんな時男から無理矢理性暴行をされた。その結果妊娠してしまった。

 

男は行為中に写真を撮っておりそれ以降も体の関係を続けることを要求してきた為、警察に相談して対処してもらった。妊娠したことにすぐ気づいた為、中絶はスムーズに行うことが出来た。

 

私の性的逸脱はここで終わる。

後半からただの試し行為でしか無かったこの性的逸脱。私が妊娠中絶をしても、旦那はそのようなことばかりしていたからバチが当たったんだ等とも言わず、ただ献身的に支えてくれたからだ。試す必要がなくなり、性行為に恐怖を覚えるようになり、終わった。

性暴行に始まり性暴行に終わったのだな、といま書いていて気付いた。

Twitterに溢れてしまったので、まえからいつか書こうと思っていたブログにアップしました。